横浜市港北区菊名徒歩5分の完全無痛整体。あなたの肩こりや首こり、首が痛い・重苦しい痛み、腰痛等がまったく痛くない施術で根本的に楽になります。

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院長プロフィール

 

電話:080-5312-9332:毎日9時~21時受付│ご予約お問合せメールフォーム:PC携帯スマホ対応:24時間受付

 

撏龍堂整体院(しんりゅうどうせいたいいん)代表兼完全無痛整体師:渋谷(しぶたに)の自己紹介文です。

前半は基本データ、後半は整体師になるまでの過程を書いています。(2012年10月現在)

基本データ

 

身長175センチ体重63キロ。
血液型はO型(両親ともO型だから:実際に調べたことはない)
おとめ座に近いてんびん座生まれ。
1964年辰年生まれ。
バツイチ。
4歳年下の妻と結婚7年目。
家族は母と5歳年下の妹。
父は2001年、母は2011年に死去。
妹は結婚して夫と一人娘がいる。

人柄
以前の職場では「渋谷さんって優しいよね」と言われていました。(本当です)
年齢を言うと、大体びっくりされて「もっと上だと思っていた」とも(人柄じゃなくて見た目か)

モットー
ハートに従い、フロー(流れ)に乗る。

プライベート
時々ベランダにいるハーブや和草(どくだみやゆきのしたなど)の世話をして、オーダーメイドの桐でできた三線を弾く。

好きな言葉
人間万事塞翁が馬
一番軽いものが、一番遠くまで飛ぶ

性格
人見知りしない(めちゃくちゃ社交的ではない)
外国籍の人と普通にコミュニケーションできる(英文科卒ですが、英語はあまり通じない。それでも会話に不自由したことはない)

我慢強い(マゾではない)
マイペース(グループ行動は苦手)

趣味
ペンギングッズ収集(JR東日本SUICAマスコットペンギンが最近のお気に入り)
手ぬぐい収集(和柄中心)
劇団四季観劇(妻の仕切りで)

スポーツ歴等
小学生の頃、近隣のスポーツ少年団で器械体操を始めるが、中学校入学とともに退部。
中学校ではサッカー部に入部。
ポジションは左ウイングになったけど、利き足が右足なのでセンタリングをうまく上げられなかった(練習したけど)
ひざを痛めて自主退部。

高校生の頃バドミントンを1年間だけ(ダブルスで県大会2部優勝)。
大学以降はいわゆる「草テニス」を仲間と遊びでやっていた。
アイドルはビヨン・ボルグとイワン・レンドル。
当時はマッケンローのデリケートなタッチよりも、問答無用のフォアハンドが好きでした。
もちろん両手打ちバックハンドも。

社会人以降は太極拳簡化二十四式を学び、さらに関西気功協会で気功を学ぶ。
太極気功がお気に入り。
アフリカンドラムを学び、ジャングルビートを身体に染込ませる。
いくつかの古武術をかじるが、足首の故障で休止中。
知り合いの本部道場師範から、八光流柔術を学ぼうと思っています。

経歴
兵庫県尼崎市出身。

尼崎市立名和小学校、
尼崎市立大成中学校、
兵庫県立尼崎稲園高等学校卒業後、
1年浪人して関西大学文学部英文学科入学。

大学卒業後は某独立系ソフトウェア会社に入社。
コンピュータープログラマーとして東京に勤務。
IBM系のアセンブラを担当。
某航空会社の顧客管理システムの補助をしていました。

激務のため、というより仕事についてゆけず、体重が50キロまで痩せてしまう。
月に残業は一番多くて40時間程度。
同僚で、1日おきに徹夜している奴もいたのに。
本当、プログラムはわからなかったですね・・・。

当時の写真を見ると、見事にほほがこけて「骨皮筋右衛門」。
スーツのウエストがブカブカになり、サスペンダーで吊っていました。
結局、1年後退職。

退職後、施工販売の営業職を経て
栄養士養成の専門学校(大阪府環境科学研究所附設栄養専門学校)に入学。
栄養士の資格を取る。

横浜で10年間、栄養士として小児専用病院ー老人保健施設ー保健所ー病院に勤務。
その間に管理栄養士の資格を取る。

ストーリー
子どものころから「本の虫」でした。
両親をつかまえては新聞折り込み広告を指差して「この字何て読むの?」とたずねていたそうです。
行きつけの立ち読み専門本屋が数件あり、毎日のように通っていました。

読んでいたのはもちろんマンガ。
高校生の頃から少女マンガにはまり、単行本を次から次へ買い集めた事も。
好きな漫画家は清原なつの、坂田靖子、吉野朔美、山田章博、内田善美などなど。

一方で「不思議大好き少年」でした。
ユリゲラー直撃世代です。
スプーンは曲がりませんでしたが、小学校の運動場で私しか見えないUFO?を目撃した事も。
「月刊ムー」「たま」「フィリ」は定期購読していました。

初恋は、小学校4年生の時。
担任の女教師で、名前は武田先生だったかな。
憧れてましたね・・・。

子どものころ、音楽はバカにしていました。
「どうしてこんなのわざわざ聴かなければならない?」と真剣に思ってました。

ところが、親戚の家でさだまさしさんの「私家集」を聴き、完全ノックアウト。
古き良き「昭和」を感じさせる歌詞と、ストリングスの響きにシビれたのです。

それからは、歌謡曲を真剣に聴くように。
沢田研二さんや郷ひろみさん、初期の中森明菜さんとか。

高校生の頃はイエローマジックオーケストラ(YMO)にハマっていました。
ライブに初めて言ったのはYMOでした。
「YMO直撃世代」というのは自慢のうちの一つです。

社会人になってからは、ディーヴァと呼ばれる女性ボーカルばかり聴くように。

あっイエローモンキーもあったな。
結構好きなんですよ。
カラオケではよく歌いました。

高校生の頃、ユングに影響を受けて心理学者になろうと思ったことも。
一年間自宅学習をして受験した大学では「得意だから」という理由で英文科に入学。
でも、英語の先生になるつもりはありませんでした。

子どものころは、おもちゃ会社の社長になるつもりでした。
それから小説家になろうか、心理学者になろうかと思ってました。

大学生のころは能力開発関係のコンサルタントになろうと思っていました。
コンサルタントとして、クライアントの問題解決がしたかったのです。

でも「これからはコンピューターくらい触れないと」と、プログラマーになるものの、体調を崩して退職。
退職することを説明するため帰郷すると、速攻で親父から往復ビンタをくらいました。
「男なら、一度決めたことは死んでもやれ!」
そう言われても、まだ死にたくなかったので・・・。

親父が高卒で就職後、転職を繰り返したことは後になって知りました。
今考えれば、親父は転職して苦労したから、私に転職を踏みとどまるように言ったのでしょうね。

プログラマーを退職してから「天職」について考えるようになりました。
私が本当にやりたい仕事は何だろう?と。

お袋のコネで営業職として転職し、長崎の現場に長期出張していた時。
職場と宿舎の往復で、慣れない車の運転と職場の人間関係に疲れ気味。
ぐずぐずと時間をつぶしているような、物足りない時期でした。

同じ部屋の上司がパチンコに出かけたある夜。
ビールで酔っ払った私は、意味もなくテレビのスイッチをつける。
プロ野球中継が放映されていました。
ジャイアンツの吉村選手の復帰戦でした。

吉村選手は試合中に外野フライを取ろうとして、ボールを追いかけてきた他の選手に激突されました。
大けがをして選手生命を失う危機、というか日常生活さえままならない状態になりました。
アメリカで手術を行い、懸命のリハビリをして約3年ぶりに復帰したのです。

吉村選手が代打で登場してから、もう私は涙でテレビを見ることが出来ません。
確か彼は、セカンドゴロを打って一塁まで全力疾走したはずです。

私は涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら「吉村選手はあんなに頑張っている。

なのに、私はふてくされて酔っ払っているだけだ。もう一度ちゃんと自分のやりたい事をやろう」と決めたのです。

ちょうどそのころ、栄養士と言う職業を知りました。
「栄養管理を通じて多くの人々の健康づくりをしたい」と思うようになり、専門学校に入学。
卒業後、横浜で10年栄養士をやりました。

保健所に配属になって、念願の健康づくりに関われると思いました。
ただし、そこで学んだ事は「”豊かで自由な”国における食に関する健康づくりは、

個人差や好み、個人の習慣やライフスタイルに左右されすぎる」ということ。

今思えば、当時の私は、自分の考えのみが正しいと思い込んでいたのでしょう。
そのころから起業独立を考え始めます。

カウンセリングなどメンタル面を学びました。
スピリチュアルなサポートとして、フラワーエッセンスやレイキを学びました。

本当に時間とお金をかけていろんな学びを重ねてきました。
それは私の中で一つにまとまるまでに、もうしばらく時間が必要でした。

縁あって、朱鯨亭の別所先生から整体を学びました。
そして、心身ともに整える整体師として、活動することにしました。

療術・ヒーリング修行歴
代表的なものをあげます。
・快医学(30時間セミナー修了)や各種ボディワーク、
・古武術(現在休止中)
・操体法(針灸整体センター代表の中尾鴻一先生から学ぶ)
・フラワーエッセンス
アラスカフラワーエッセンスは、創始者スティーヴ・ジョンソンから直接学ぶ。
(かつてはワンレンでした・・・!)
 

 

他にフィンドフォーンフラワーエッセンス、FES、スピリットインネイチャーなど。

・EFT(EFTジャパン認定セラピスト)
・臼井レイキ
・整体
奈良の「整体の朱鯨亭」の別所先生と、

 

横浜東戸塚「整体 愉和」の清水先生に学ぶ。

 

好きな食べ物

鮪の寿司(子どものころ、鮪だけで17皿食べて父にあきれられたことも)
麺類(蕎麦やパスタ系、好きです。作るのも得意?)

好きなヴォーカリスト
エンヤ、セリーヌ・ディオン、サラ・ブライトマン、井上陽水、吉井和哉

好きな女優・モデル
メグ・ライアン、ヘレン・ハント、夏目雅子、山口小夜子

愛読書
東洋医学や代替医療関係、ヒーリング全般を「広く深く」読む。
マーケティングやブランディング関連の本も大好き。
(一時期、中小企業診断士の資格を取るため勉強していたことも)

好きな色
オレンジ、シルバー、ゴールド(ヒカリモノ、結構好きです)

好きな飲み物
ほうじ茶、妻特製のハーブティ
京都の炒り番茶も結構好き。
コーヒーや紅茶は飲めません。
アルコールは、昔はザルでしたが今は1滴も飲みません。

好きな場所
明治神宮(明治神宮オタクです) 

性格
カラっと明るい・頼まれ上手の断り下手
細かいところに気がつく

長所
好奇心旺盛・施術中の手はポカポカしている

短所
いろんなところに頭を突っ込み、時々抜けなくなります(笑)

好きなこと
サポートすること・健康に関すること・家庭料理

自己PR
管理栄養士で食生活改善のため長年働いてきました。
そのせいか、問題点を洗い出したりお客様と改善方法を一緒に探るのは結構得意です。

健康に関しては、心身及びスピリットの知識と経験は豊富です。
皆様の毎日が心身ともに健やかになるよう全力でサポートします。
よろしくお願いします。

家族
父は島根県益田市生まれ。
柔道で、オリンピック強化選手の最終選考に残ったらしい。
高校卒業後、陸上自衛隊や松下電器の技術職など様々な職業を経てトラック運転手に落ち着く。

私が小学校2年生のころ腎臓を患い、後に人工透析を長年続ける。
透析中にくも膜下出血を発症して、19日後の2001年11月25日に死亡。
享年64歳。

母は兵庫県丹波笹山出身。
高校の頃、陸上部中距離で当時の大会記録を出したらしい。

高校卒業後、デパガ(デパート店員)をしていた頃、父と知り合い結婚。
病に倒れた父と家族を支えながら、長年事務員として勤務。
2011年10月28日、突発性の心停止により死去。
享年74歳。

妹は、本当は2人いるはずでした。
最初に生まれた妹、由紀子は、生まれて半年で亡くなりました。
二人目の二女として生まれた妹は、高校卒業後事務員として勤務。

現在はパートで働きながら、実家近くのマンションで一人娘と夫と仲よく暮らしています。

妻は東京八王子出身。
現役の薬剤師。

アロマセラピストの認定セラピストであり、最近はメディカルハーバリストとして講師をしている。
スピリチュアルヒーリングサロン「Rainbowspirits」代表。
ブッシュフラワーエッセンスの認定アドバンストプラクティショナー(日本で3人目)

妻と出あったきっかけは、知り合いのヒーラーさんから紹介されたこと。
馬貴派八卦掌という中国武術を学ぶため、東京を訪れた時に知り合いのヒーラーさんに声をかけました。

当日近くなって「私都合悪くなったから行けないわ。知り合いの女性を紹介するね」と。
それが今の妻です。

妻と知り合って、結婚するまでに会ったのは3回。
遠距離恋愛でしたから、毎月の電話代は4万円超えでした。

メッセージ
この文章を読んでくださることに対して、感謝します。

私は幼い頃から、代替医療に興味があり、いろんなヒーリングや療術を片っ端から学んできました。
それは、親父が体調を崩した事と無関係ではないでしょう。

大学卒業後は、管理栄養士として集団の健康づくりとしての食生活改善に取り組んできました。
今後は整体を通して、健やかな心身づくりを「1対1で」「面と向かって」「フルオーダーメイドで」
サポートしてゆきます。

と申しますものの、心身の健康を取り戻す主体はあなたです。
私のサポートは、お客様の健康を取り戻すために「ボタン」を押すようなもの。

私たちは生まれつき、誰でも自己治癒力を持っています。
適当な環境を整えれば、程度の差こそあれ私たちの心身は整っていくのです。
私ができるのは、手技を中心にあなたの自己治癒力が発揮できる環境を整えることです。

ご質問等ありましたら、お気軽にお問い合わせ下さい。

・あなたの本来の実力が最大限発揮できるように
・ストレスとうまくつきあい、いつまでも笑顔で輝いていてほしい
・仕事もプライべートも充実した毎日を送ってほしい

こんな想いとともに、撏龍堂整体院を始めました。
その想いはますます高まるばかりです!

おかげさまで数多くのお客様から喜びの声をいただいております。
「長年苦痛だった肩こりが楽になった」
「シップが手放せなかった腰痛がウソみたいに解消!」
「ひざ痛が軽くなった」

身体の不調、違和感の軽減及び解消には自信があります。
特に肩こり、首のこり(ストレートネック)、腰痛の改善と骨盤矯正には定評がある。

男性の持つ力強さは、身体の芯を整える施術に有効。
女性のように繊細な手指の感覚は、身体の微調整に効果的。

リピートされる多数のお客様の施術に一生懸命に取り組みつつ、
いつも笑顔と初心を忘れないよう整体に邁進中。

もし不快な思いをされた場合、代金は全額返金いたします。
自信と経験、プライドを持って毎日真剣に施術を行っております。

整体院の名前の由来
撏龍堂整体院は、しんりゅうどうせいたいいんと読みます。
撏には「つかむ」という意味があり、龍をつかむようにますます躍進してゆきたい思いでつけました。

忙しい毎日の中で見過ごしがちな心身を休め、明日への活力を得て欲しいです。
整体お申し込みも、少ない予約枠ですがお受けいたします。
訪問もご相談のうえ行います。

整体により、あなたの健康づくり・身体づくりのお手伝いをいたします。

撏龍堂整体院物語ー私はなぜ整体師になったのか?

撏龍堂整体院(しんりゅうどうせいたいいん)のホームページをご覧になり「整体を受けてみたいけど、男性に身体を触られるのは・・・」とお思いの女性の方もいらっしゃると思います。
一方「男性の整体師は一般的だし、今度お願いしようかな」と思っている方もいらっしゃるでしょう。

知り合いの女性に聞いてみると、こんな話をしてくれました。
「以前生理不順の時、紹介で男性医師の診察を受けたわ。だけど、プロだし気にならなかった」と。

施術に性別の違いはないのです。私もプロとして、これまで多くの女性に整体を行っております。
海外ではカイロプラクティックが整体の支流ですが、男性の先生がたくさん活躍されています。
(当然、女性カイロプラクターもいらっしゃいますよ)

男性に触れられたくないのなら、自分にウソをついてまで男性整体師にかかる必要はないです。
整体を受けてみたいと思った時のヒラメキに従ってくださいネ。

さて整体院ですが・・・多くの人が整体院をはじめ、多くの人が撤退します。
整体院開設は初期投資が少なくて自宅でもできますからネ。
小さな街でも整骨院や鍼灸院がたくさんあります。
資金や経営ノウハウ等に乏しい、個人経営の整体院が存続し続けるのは難しいようです。

私が整体を学び始めた時も、厳しいお言葉をたくさんいただきました。
「いくら素晴らしい整体の技術があっても、うまく経営できるとは限らないよ」
「渋谷さんが整体院をやるって?無理無理。公務員やってればいいじゃない」

私は20年間、地方公務員の管理栄養士として働いてきました。
整体院経営のノウハウはもちろんありませんし、資金もありませんでした。
もちろん妻の両親は大反対。親の立場から言えば当然ですね。

「公務員辞めて整体院やるとは、そんなに世の中甘くない!」

私は前職で10年間、大阪府の小学校に勤務しました。給食管理や食育など、様々な取り組みを行いました。
教育委員会と合同プロジェクトを行い、充実した毎日でした。
あのままずっと同じ仕事を続けていれば、安定で確実な収入が約束されていたはずです。
でも、私は公務員を辞めました。今後は、整体師として働く人生を選んだのです。

私にとって整体師として働く事はミッション(使命)になっていました。
赤々と燃えるような情熱を止めることはできなかったのです。

私がなぜ、安定した公務員を捨て整体師になったのか?大学卒業のころに話は戻ります。
大学卒業後、真剣に就職を考えた時に「人々のお役に立ちたい」という思いがあふれ出てきました。
その思いは今も変わりませんが、「縁の下の力持ち」をやりたいと思いました。
「食生活改善の面で人々のお役に立とう」と専門学校に入学して、管理栄養士になりました。
親父が腎臓病で、長年人工透析をしていました。自宅で食事療法をしていましたから。

念願の管理栄養士になって、小児病院や保健所、高齢者保健施設、総合病院で働きました。
しかし「組織人としての限界」という目に見えない壁にぶつかったのです。

お客様のニーズやウォンツに対応できないもどかしさ・・・。
そして、お客様の食生活に対する優先順位の低さにも、ガクゼンとしました。

そのうち私は「治療寄りの仕事をやってみたい」と思うようになりました。
食生活個別相談に役立てるため、カウンセリングの勉強を開始。
同じ時期にフラワーエッセンスの勉強も始めました。メンタル面とスピリット面を学び始めました。

フラワーエッセンスにのめり込み紹介でお客様にお選びするようになったころ・・・。
私は心身共に不調をきたします。自律神経失調症とパニック発作を引き起こしました。

電車に乗って本を読んでいると、体調の異変に気づきました・・。「呼吸ができない!」
息を吐くことも吸うこともできず、このまま死んでしまうかと思ったくらいです。
何とか自宅にたどり着きましたが、めまいや動悸、息切れ等の症状に見舞われました。

当時、異動先の病院で先輩達との人間関係に疲れ果てていました。前妻との関係も悪化。
仕事だけでなくプライベートでも打ちのめされていたのです。
食事は、インスタントラーメンや外食ばかり。アルコールは増える一方。飲まないと眠れない悪循環・・・。

知り合いのセラピストに相談して、神経科を紹介してもらいました。
神経科に行き状況を説明すると、「しばらく休んだ方がいいね」と休職するように勧められました。
結局仕事は4か月間休みました。前妻とは別居後に離婚しました。
しかし、自律神経失調症の症状は治まらず、失意の毎日でした。

災いは重なります。同じ時期に、親父が脳梗塞で倒れ危篤・・・。
親父は長年人工透析を行うため、血液が固まらない薬を飲んでいました。
出血が止まらないわけで、手術ができないんです・・・。

「親父にもしものことがあったらお袋を一人置いていけない」と、地元の公務員採用試験を受験。
親父は私が転職するのを待たず、亡くなりました。

食生活を改めて鍼灸治療を開始。漢方薬を処方してもらいました。アルコールは止めました。
少しずつ体調は良くなり、やがて鍼灸治療も漢方薬も要らなくなりました。
鍼灸師の提案で古武術を学んで、身体面の再構築を行いました。
ようやく心身の健康を取り戻したのです。
自分自身で心身の健康さを実感しました。

鍼灸師の紹介で、整体の一種である操体法を学び始めました。
メンタル面やスピリット面の学びは続けていましたが、身体面の勉強は新鮮でした。
身体の様々な面が変化すること。健康になっていく事が実感できる喜び。
メンタル面やスピリット面の事は具体的に実感しにくい。身体面はわかりやすかったです。
メンタル面やスピリット面で得た敏感さが、身体面の学びに大いに役立ちました。

「身体面の治療をやってみたい」
縁あって出あった、別所先生が主催する整体師養成コースを受けることにしました。

そんな時に、お袋が急逝したのです。

糖尿病の持病があるお袋は、少しデータが悪い程度で元気なものでした。
妻とICUに駆けつけると医師は「急性の心停止で30分程度脳に酸素が行っていない」と。

「こりゃあ、もうダメかも」正直そう思いました。お袋と話をすることもできません。
結局、お袋は1週間後に亡くなりました。

あわただしく葬儀が終わった後、ポツリと思いました。
「人生どうなるかわからないな。どうせならやりたいことをやって皆様のお役に立ちたい」
整体師で開業するー熱い思いがメラメラと燃え上がってくるのを感じました。
そして、その炎は未だ勢いを増すばかりです。

「整体師を一生の仕事にしよう」そう決意しました。
整体をすることで、人々のお役に立とう。
皆様が忙しい毎日で疲れた身体を整える場所を作って、心身の不調から回復してもらおう。
笑顔一杯の毎日を、送れるようになっていただこう!

退職の準備と共に、猛勉強の開始です。生理学や解剖学、免疫学。
坐学と並行して知りあいに整体をやらせてもらうことにしました。

妻や妻の知り合い、私の友人など延べ50名程度の人対象に格安で整体を行いました。
初めは緊張しっぱなし、おっかなびっくりで何をどうすればいいかわかりません。
ヘンな冷や汗が大量に流れるのを感じながら、施術を行いました。

私のような初心者整体師の整体を受けてもらった方には、本当に感謝しています。
お陰様で「お試しでなく、正式に整体を受けたい」という声を聞くようになりました。
「渋谷さんの整体で肩こりが軽くなった」と言われた時は、とてもうれしかったですネ。

お客様からたくさんのご意見叱咤激励をいただき、試行錯誤の連続でした。
いかにして身体面を調整するか?いかにしてお客様に満足していただくか?
様々な施術の勉強会にも通って、新しい技術を身につける毎日。
そして現在は自信を持って整体を行うようになりました。

撏龍堂整体院(しんりゅうどうせいたいいん)では、日々状態の異なるお客様の身体に真摯に耳を傾けて、フルオーダーメイドの施術を行います。
より高いレベルでお客様の心身の回復と満足、新たな感動の提供を求め今後も研鑽を重ねます。

お客様の本来の実力が発揮できるように!仕事もプライベートも、充実した毎日を!
お客様の輝く笑顔のため、そしてよりポジティヴな生き方を送れるように。
今後もお手伝いをさせていただきます。

長文におつき合いいただきありがとうございました。

 

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